京都の別荘の管理人から珈琲豆が
3店舗5種類送られてきた
明日から楽しみ
今日は朝からタンザニア「ンゴロンゴロ農園」深煎り
今日の沖縄タイムスに
「学びは誰のもの」と題して
「ブラック校則」が取り上げられている
このブログでも何度か書いたが
教師も大人も思考が止まっているとしか思えない
主権者教育も人権教育もあったものでは無い
教師自身が意味もわからずに
「膝かけ禁止」「茶髪禁止」
「地毛登録」を強制する
「どうしてダメないんですか」の生徒の質問に
「校則だから」と返す教師に多く会った
「なぜ校則か?」を聞いている生徒に
教師自身が意味もわからずに強制していることが露呈している
ちなみに私はほとんど強制しないし
聞かれても「私も判らない」と言ってきた
「服はちゃんと着なさい」とは言っても
「スカートは膝丈○㎝」とは言えない
「頭髪に清潔感が無い」とは言っても
「色を直せ」などとも言わない
「評判が悪くなる」など
見た目で判断する最たるもの
「面接や式典にちゃんとしていれば良いではないか」と
いつも思っていたし
そうしてきた
校則を立てにした強制は
教師の指導にも大きなプレッシャーだ
だから苦しくて病んでいく教師も多い
本来、夢も希望も意欲も持って
教師を目指した方々が
「こんな事をするために教師になったわけでは無い」と思いながら
管理主義や統制主義を学ばされるのだ
極めつけは
「生徒になめられたらダメですよ」
「最初が肝心ですよ」を多くの教師が口にする
だから
始業式も学級開きも入学式も
服装指導から始まる
「おめでとうの日」「新学期始まりの日」「私が担任ですの日」にだ
「なめられない教師」への同調圧力で
教師は病んでいく
生徒が追い込まれていくと同時に
教師も病んでいく
遅きに失している今更の日本の学校の人権意識に
「防寒の校則 女子に春風」の沖縄タイムスの見出しは
ばかばかしくて話にならない
「春風」のように温い扱いでは
森会長発言が助長されるし
そもそも
どこに向かった発言なのか
何を考えてきたジャーナリズムなのか
疑わしくもある
※長年の購読者だが・・・
グレタ・トゥーンベリさんのスウェーデンの教育カリキュラムには
「乳幼児教育の目的は民主主義の担い手を育てる」とあり
「自分の行動と環境に責任をとる能力を身につけることから民主主義は始まる」とある
大人(教師)にもの言う青年を育てることが阻害され
忖度が横行する社会では
オリンピックどころか
国際社会を担う青年を育てられないと考える
ルール(校則)は
守るだけでは無く
つくる方法を指導されなければ
国の民主主義など成り立たない
言い過ぎだろうか・・
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